言葉はコミュニケーションの道具の一つ。
こんにちは。
今日はこんな記事を読みました。
思ったより長くなったので良かったらお付き合いください。
う〜ん。
個人的には読みながら何か引っ掛かる物を感じながら読みました。
「英語圏人たちは」と言う大きな括りで書かれているけど、
本当にそう?
みたいに思っちゃって。。。汗
海外の空港だったりレンタカーオフィスだったりでのやり取りが聞こえてくる時ってあるじゃ無いですか。
英語が分かるだけ、大きな声で不満やフラストレーションを表現しているのはアメリカ人だったり、イギリス人で、その姿は時として目に余る時が有るのは事実です。
その節々で、
「観光地なのに、なんで英語が分からない人が接客をしているの」
みたいな言葉を発するのを聞いたことも少なくとも有ります。
恥ずかしながら、ウチの夫くんも良く言っています。
ここケベック州では同様に仏語を話せない人に対しての冷淡な対応も目に余るものが有ります。
政府の事務局でさえ対応は冷淡です。
その辺りの通りでもこんな騒動も頻繁に起こっています。
Angry Quebecer goes ballistic over Asian tourists speaking English in public in Montreal .mp4
筆者が最後こう括っています。
英語を母国語としない人にとって、自分の話す英語がどれだけ奇異で理解不能か、ネイティブは彼らの立場になって自分を知り、配慮する必要がある。それが、国際コミュニティーの良いメンバー、そして魅力的なビジネス・パートナーになる第一歩だ。
英語だけに関わらず、母国語を話す人が話さない人への配慮ならアテシも同意出来るんだけど。。。
英語、仏語だけでなくても、日本でも余り変わらない。
もちろん、個人差はありますが、ウチの会社は「日・英・仏」が基本の言語ですがその他にも「タガログ・アラビック・クレオール・etc」と沢山の言語が飛び交っています。
メルティングポット状態の社内では基本言語を作ってコミュニケーションをしています。
そのせいか、ネーティブの言語を話す人の態度がその言語で大きく変わるかと言うとそうでは有りません。
社内で常に心掛けるように皆が努力しているのは次の3つです。
- コミュニケーション(Or 意思疎通)の道具として言葉が存在している。
- 自分の言っている事を理解して貰おうとする努力。
- 相手が言っている事を理解しようとする努力。
お互いに努力する心掛けが大切だと思います。
母国語を話す立場の人たちがそうで無い人たちが伝えようとしている事を理解しようとする努力を怠る事は大いにあると思います。
言葉はコミュニケーションの道具の一つ。
顔の表現や言葉のトーン、ジェスチャなど他にもコミュニケーションには幾つかの道具が有ります。
母国語を話す立場なら、言葉だけなくもっと大きく広くアンテナを張って相手が何を伝えたいのか理解しようとする努力を怠ってはいけない。
そんな思いがします。
正直、アテシが今まで会ってきた人たちで、多国間でのビジネスをしている人たちは、英語圏の出身であろうがどこの出身であろうがこの辺りははみんな心得ていましたよ。
だから成功されたんだなって関心していますもん。
まぁ〜、正直みんながみんな出来ることでは無いのもこれまた現実で事実ね。
な〜んか真面目なこと書きすぎて頭が痛い。。。
ワインくださぁーい!